教育係
「ついに後藤もモーニング辞めちゃったか・・・」
後藤が正式に脱退した翌日の2002年9月24日、たまたまその日仕事もなく1日休みであった。
「後藤は今頃何考えてるんだろうな〜。でも翌日ぐらいじゃ大して実感もわかないか、私もそうだったし。」
特にやることもなくあまり外出が好きでない私は自分の部屋の中でただゴロゴロしながら
そんな風に後藤のことを考えながら一人でぶつぶつと呟いていた。
「でもその内本当に辞めちゃったって事に気づくんだよな〜。何にもすることがなくなっちゃうって言うか・・・。
ん?待てよ、あいつはすぐソロの活動があるんじゃん。な〜んだ私と全然違うのね」
モーニングを辞めたという事実は同じだったが、その後の生活が自分と後藤とは全く違うことに
すぐに気付かなかったのが少し恥ずかしくなった。
ただこんなに後藤を気にしている自分が何か懐かしいような感じがした。
少なくとも自分が後藤の教育係だった頃はいつもこんな感じだったように記憶している。
「そう言えばあの時後藤、前みたいに『いちいちゃん』って呼んでくれたよな〜。」
思い出すだけでそれが嬉しくてたまらなかった。あぁ後藤は変わっていないんだなぁなんて思いながら・・・。
あれは後藤が脱退する前日の22日のことだった。
最後のテレビでの生放送ということで、私は後藤の誕生日に巨大なケーキを運ぶことになっていたのだ。
勿論楽しみにしていたもののやはり久しぶりに後藤に近づいた時は少し緊張した。
だけどそんな時に言ってくれた一言が印象深かった。
『いちいちゃん』
今でもその響きが頭の中でリピートがかかったように何度も何度も繰り返されていた。
しかしながらあの後、後藤と全く会話を交わすことはできなかったのだった。
一度ゴロリと回り仰向けになると、抱きついていたぬいぐるみを真上に上げた。
「はぁ〜・・・こんなこと考えるなんて、私ってやっぱ後藤のこと・・・」
そう思うと無性に後藤の声が聴きたくなった。いや、話がしたかった。
いくらなんでも今日は休みだろう。そんな軽い気持ちで電話でもしてみようと携帯を手に取った。
よし掛けてみるか。そう思ったその時だった。
(ピロリロリロ・・・ピロリロリロ・・・)
「うわっ!」
急に携帯の着信音が鳴ったので驚いた。
改めて画面を覗くとそこには『圭ちゃん』と出ていた。
こんな時に何だろう?と思いながら電話に出た。
「はい、はい、圭ちゃんどしたの?」
「紗耶香?いい、落ち着いて聞いてよ」
その圭ちゃんの声が明らかに興奮気味だったので、そっちが落ち着いてよと言おうとしたが
どうもそんな様子ではなかったのでそのまま話を聞くことにした。
「わかったよ。それでどしたの?」
「実は・・・後藤が・・・」
「後藤?あっ、丁度良かった。後藤って今日休みかわかる?」
圭ちゃんの口から後藤の名前が出るとは思いもしてなかったが、
一応予定を確認しておいた方がいいかなと思いそう聞いていた。
すると圭ちゃんは先ほどより少し声を張った。
「ちょっと!そんなことはこの際どうでもいいことなのよ!実は・・・後藤が・・・後藤がどこにもいないらしいのよ」
「ハハハ、圭ちゃん何言ってんの?後藤はモーニング辞めたんだからいるわけないじゃん」
全く状況を把握していなかった私は、前自分が辞めた時もこんなこと思われてたのかなぁなんて考えて少し笑っていた。
しかし、実際はもっと重要なことだった。
「バカ!そんなもんわかってるわよ。そんなんであんたにいちいち電話かけるわけないでしょ!
だから言ったでしょ?どこにもいないって・・・」
「えっ?・・・ってことは」
一瞬にして自分の心拍数が高くなってきているのがわかった。
何か嫌な予感がした。
「そう・・・行方不明なのよ・・・あの子ったらいったいどこ行ったのかしら・・・。ねぇ知らない?」
「・・・・・・いや・・・知らないよ・・・」
「う〜んもしや紗耶香のとこじゃないかな〜と思ったんだけどね。それじゃ私は他あたるから
またもし何かあったら連絡してね。忙しいとこ悪いね。そんじゃ」
「あっ!ちょっ・・・」
(プー・プー・プー・)
後藤が消えた?冷や汗が徐々に流れ始めた。
(後藤が・・・後藤が・・・後藤が?・・・いけない!探さなくちゃ!)
いつの間にか首筋まで汗が流れてきている。
大急ぎで外出できるような格好をすると、適当に身支度をして
急いで玄関まで向かった。はっきり言って当てはない。
だが、ただじっとしているわけにもいかなかった。
後藤が自分を呼んでいるようなそんな気がしたから・・・。
そして勢いよく玄関を飛び出した。もう体は感情のみで動いていたと言ってもおかしくはなかった。
しかしドアを開け一歩外に出たその時だった。目の前に自分より大きな人の気配がした。
いや、気配と言うより確かにそこには誰かがいる。ただ私の意識はもう違うところに飛んでいたようで
それが誰なのかすぐには認識することができなかった。
するとその人は今にも消えてしまいそうな声でこう言ってきたのである。
「いちいちゃん・・・」
その声が耳を通り抜けた時、やっと顔をあげることができた。
「・・・・・・」
そこで一瞬思考回路はストップした。
それからまた頭が回転し始めるまでに少し時間がかかった。とは言っても時間にしてみればほんの2,3秒程度のことである。
にもかかわらずそれが長く感じたのは、あまりにも突然な出来事で頭はまだ整理がつかない状態だったからだろう。
しかしその中でも一つだけ確実に理解できることがあった。
「・・・ご・・・後藤?」
目の前に立っていたのは、行方不明になっているはずの後藤だった。
とは言ったものの、私にはその状況が全くと言っていいほど理解できなかった。
おろおろすることさえできず動きを完全に止めてしまった。
後藤が何故自分の目の前にいるのか、ということだけを考えて・・・。
そんな私を見てだろうか、後藤は一度「いちいちゃん」と言った後は一言も喋らない。
ただ気持ち、後藤の顔が崩れてきているように思えた。
その中での静止・・・。
まるで自然が作り出したような空間だった。
いつも玄関を開けるとすぐ目に入ってくるような見慣れた大きな木の葉は一枚も揺れていない。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
(ヒュ〜)
突然風が私たちの間を走り抜けていった。
今まで絵に描いてあったような大きな木の葉はゆらりゆらりと踊り始める。
すると後藤は目に涙を浮かべながら思い切り抱きついてきた。
「いちいちゃ〜ん・・・あ、会いたかったよ〜・・・ヒクヒク・・・」
「ご、後藤!?」
自分より随分背が高い後藤を支えるのは容易なことではなかったので少しよろめいてしまったが、
後藤が倒れないようにしっかりと支えた。
「ヒック・・・ヒック・・・ヒック・・・いちいちゃ〜ん・・・」
「ねぇ、ちょっと後藤落ち着いて。一体何があったの?ほら、泣いてるだけじゃわかんないでしょ?」
私の言葉は聞こえているのかわからないが後藤は先ほどより強く私に抱きついてきた。
そっと後藤の顔を優しく上げると、もう顔は涙でぐしゃぐしゃになっていた。
「まぁまぁ、取りあえずこんなとこじゃあれだから私の家に入んな。ゆっくり聞いてやるからさ」
まだ落ち着いていない様子の後藤を抱き直すとすぐに小さくコクリと頷いたので、
後藤の右手を掴んでゆっくりと家の中の先ほどまで自分が寝転んでいた部屋まで連れて行った。
「ほら、座って座って。まぁ相変わらず汚い部屋だけど」
笑ってそう言ったのだが、後藤は反応を示さずそのままペタンを座った。
「よっこらしょっと」
私は後藤の丁度正面に座り、少し間をとった。
少しずつ時間が経過していくとともに後藤は落ち着きを取り戻してきたようであった。
まだいつものようにとまでは行かない様子だが、話をするくらいなら十分な感じである。
「ちょっとは落ち着いてきたみたいだね。それじゃあ改めて聞くけどどうしたの?」
「・・・た・・・しさ」
「ん?何?」
「私さ・・・もう疲れちゃったんだ・・・もう仕事やりたくないよ・・・」
「え?それどういうこと?」
「疲れちゃった・・・」
「・・・・・・」
私は一度目でしっかり聞き取れていたのだが、思わず聞き返してしまった。
しかもそれにすぐ答えられないでいた。
後藤は私の顔を見て話をしておらず斜め下を向いていた。
正直この後に何を言えばいいのかわからず時計の針が動く音が聞こえるほど静かになってしまった。
ちらりと後藤を見る。
次の私の言葉を待っているように思えた。
「でさ、何かあったの?」
「・・・・・・」
「話してくれる?」
「・・・・え・・ん・・うんとね・・・私娘。辞めたじゃん?そんで辞める前はソロで頑張るんだ〜って気持ちで
いっぱいだったのね。それもすごい楽しみでさ」
やっと私の口から出た言葉がこれだったが、どうにか後藤も話し始めてくれた。
私はもう一度真剣な顔になって後藤の話を聞いた。
「だけどさ、何て言うかわかんないんだけど急に何にもやりたくなくなっちゃって・・・。
前からわかってたんだよ。もう娘。じゃないから何でも自分でやらなきゃいけないって。
でも実際にそうなっちゃったらさ・・・すっごい寂しくなっちゃって何にもやる気
起きなくなっちゃったんだ・・・」
「・・・・・・そう」
「それで私どうしたらいいかわかんなくて、飛び出してきて気付いたらいちいちゃんの家の前だったんだ」
後藤はようやく顔を少し上げてこちらを見た。
その顔はまるで自分がモーニング娘。で後藤の教育係をしていた頃のものにそっくりだった。
それが私には不思議に見えた。
何故ならつい昨日見た後藤はもう自分の知らない後藤になっていたように見えていたのに
今はあの頃の後藤だったからだ。
「じゃあさ、仕事以外でも何でもいいんだけど今後藤は一番何がしたいの?」
「・・・うんとね・・・えっとね・・・特にやりたいってかやりたいことがなくなっちゃった・・・。
そうだ、いちいちゃんは辞めた時どう思ったの?」
「ごめん、その質問に答える前にもう一つ聞いておきたいことがあるの。後藤は将来もっと
有名になるような歌手になりたいんだよね?」
「うん・・・それは勿論思ってるよ・・・BIGな歌手にね」
それを聞いて私は少し安心した。
「ふふふ、じゃあ結論から言うと後藤には仕事を続けろって言うしかないかな」
「えっ!?・・・なんで?」
「それはね・・・」
私も後藤と同じようなことを思ったことがあった。そして私は1年半という期間を空けてしまった。
だけどそれは・・・。
後藤には私のようになって欲しくなかった。
「それはね、やっぱり音楽活動を続けていくのが一番だからだよ。私も確かに後藤みたいに思ってた。
だけど私は特に今の後藤みたいに仕事はなかったから、すぐに音楽活動をすることはできなかったの。
それで結局1年半も空いちゃった・・・。この期間は私も楽しくのびのびと過ごすことができたのは
確かなんだけど、やっぱり環境が違うから努力して音楽活動的なことをしようにも限界があったわけ・・・」
「・・・・・・」
後藤は黙ったまま聞いていた。
「・・・ん?ごめん、気付いたら話ずれてたかな?要するに私の経験からするとやっぱり続けた方が
いいと思うんだよ。私も復帰してからそのブランクって言うのかな?すごく大きいって感じたんだよ。
でもそこで後悔しても遅かった・・・。もっと早くやっときゃよかったって何度思ったことか・・・。
だけど後藤には私と一番違うところがあるじゃない?わかる?」
「・・・・・・・」
「わからないかな?さっき言ったことなんだけどさ」
「・・・・・・仕事があること?」
「そう、そこ。後藤は今からすぐに新しいことができるじゃない。私が偉そうに言うのも難だけど
今活動を打ち切っちゃったら絶対後悔するよ。歌手としての道を完全に捨てるならそれもいいけど
さっき確認したよね?だったらもう私にはこのくらいしか言えないよ。だから後藤には続けて欲しい。
私みたいな思いをして欲しくないから」
「・・・・・・」
私は自分の思っていることをすべて言葉にした。
ただちゃんと後藤に届いたのだろうか。反応が少ない後藤に少し戸惑った。
「・・・ちょっとわかり難い言い方だったかな?」
「・・・ううん、いちいちゃんの言うことすんごいよくわかったよ」
「そう?そりゃよかった。後は後藤自身が決めることだよ。私の言う事は参考程度にしてくれればいいし、
後藤がどういう風にしたとしても私は応援するつもりだから」
「うん・・・ありがといちいちゃん」
後藤はそう言ったものの、また顔を下に向け俯いてしまった。やはりまだ色々と迷っているに違いない。
私もその気持ちが痛いほどよくわかったので答えを急かそうとは思わなかった。
「じゃ、ちょっと何か飲み物でも持ってくるよ。何でもいいよね?」
私はそう言ってその場から立ち上がろうとしたその時だった。
「!!!・・・ご、後藤?」
後藤は立ち上がろうとした私に後ろから抱き付いてきた。
「・・・ねぇいちいちゃん・・・ずっとそばにいて・・・」
「・・・わかったよ」
何故かこの感覚に心臓が激しく動き出した。
そう、すごく暖かいこの感覚。
私は立ちかけた格好からもう一度ゆっくりと腰を下ろした。
どれだけ時間が経っただろうか。
私は今時間が止まってしまってもいい。不意にそう思った。
「ねぇ後藤?・・・まだこのままでいた方がいい?」
「うん・・・あのさぁいちいちゃんの背中ってあったかいね・・・」
「そうか?へへへ、ありがと」
そう話している内に自分の心拍数が少しずつ落ち着いてきたのがわかった。
(ドク…ドク…ドク…ドク…)
後藤の心音が背中からしっかりと感じられ、次第に私と後藤の心音が重なり始めた。
「・・・・・・」
「・・・・・・」
私はその時後藤と一つになったような気がした。
「ねぇ後藤?ちょっといいかな?」
「・・・・・・」
「おい、後藤?」
「・・・・・・」
「ちょっ・・・ありゃりゃ・・・寝ちゃってるよ。後藤疲れちゃったんだね」
「・・・・・・」
どうやら後藤は寝てしまったらしい。
それもそうだ。色々と悩んだり泣いたりしたからだろう。
ただ『自分の背中で安心して寝てくれたのかな?もしそうだったら少し嬉しいな・・・』
などと考えると、一人でくすっと笑ってしまった。
そんな後藤の寝顔を見たいと思いながらも、残念ながら私からは見ることができなかった。
目を覚ました時にはもう背中は軽かった。
私はまず一番最初に後ろを振り返ると、先ほどまで自分の背中で眠っていた後藤の姿はもうなかった。
寝ぼけていたわけではないのだが、私は暫くその場で呆然としてしまった。
その時、実は今までのことがすべて夢なんじゃないかと思った。
しかしすぐ後ろの床をそっと触ると少し温かかったので
今までのことが夢じゃなくて現実のことなんだと確認できた。
「・・・・・・」
私でもまだ後藤が座っていた床が温かかったことから、後藤がいなくなってから
あまり時間が経っていないなということは容易にわかった。
もしかしてまだ家のどこかにいるんじゃないかと思ったが
大きく辺りを一瞥した後、家の中には自分以外は人の気配がしないことがわかり
その思いはあっさりと消えた。
「・・・・・・」
私は顔を少ししかめながら右手でおもむろに髪の毛を掻き毟ると、
ようやく自分が今までどんな状態だったのかを考え始めた。
「・・・・・・」
取りあえず後藤が自分の背中で眠っていたことまではしっかりと覚えていたが、
その後の記憶が全くと言っていいほどなかった。
「・・・・・・」
それは考えるまでもないことだった。理由はどうあれ、あの後おそらく私も眠ってしまったのだろう。
そしてその間に後藤の方が先に目を覚まして、私に気を遣って起こさないように出て行ったのだろうか・・・。
勿論根拠はないが、それが一番辻褄が合うような気がした。
ただそれはそれで納得できたのだが、何故何も言わずに出て行ったのだろう?
何かメッセージでも残しておいてくれればいいのに・・・。
私には少しの疑問が残った。
「・・・そう言えば喉渇いたな」
私は座ったまま一度大きくのびをしてから立ち上がると
先ほど用意しようとしていた紅茶を一杯だけ淹れるとゆっくりと口に運んだ。
「んん?・・・砂糖入れすぎちゃったな・・・」
紅茶は少し甘かった。
私はその後少しずつ口に運んで紅茶を全部飲んだ。
口に運ぶ度にどんどん砂糖の甘さが広がっていき、
普段ならとっくにくどくなりそうな味だったが今回は何故かそんな感じはほとんどしなかった。
そしてふらふらと歩きながらソファーに倒れるように寝転がった。
(バフッ!!・・・・・・)
寝転がりながら天井の方を見ると、窓から射し込む光がふわふわ浮いている毛のようなほこりを照らしていた。
その様子をぼ〜っと見ているとなんだか少し虚しくなった。
「・・・・・・」
何もすることがない。いや厳密にはする気がおきなかった。勿論外出なんて考えもしなかった。
「・・・そうだ」
私は思い出したかのようにポケットに入れておいた携帯電話を手に取り後藤の電話番号を表示させた。
しかし一度表示画面をぐっと凝視した後、思いとどまってそのままの状態で床に放り投げた。
(ガタッ!)
雑に放り投げられた携帯からの悲鳴は部屋中に広がった。
「はぁ・・・後藤から連絡を待った方がいいか、何も私から掛けなくても・・・」
自分を納得させるかのようにそう呟くと、ゴロリとソファーの上で向きを変えた。
先ほどから射し込んでいる光の角度が少しずつ変わってきた。
時計を見るともう昼はとっくに過ぎていたにもかかわらずお腹が空くことはなかった。
微妙な無気力感のようなものが体中に漂っていた。
不意に後藤に相談されたことを自分が答えたことについて考えてみた。
しかしそれが伝わってるのかわからないというのがどれだけ気になって仕方がないことか。
ましてやその相手が後藤なのだから・・・。
ある種不安をも覚えそうになった。
だがそうならば自分で当の本人である後藤に聞けばいい話であるが、やっぱりそういうものではないような気がしたのだ。
後藤の方からそれを聞きたかった。
そうじゃないとなんの意味もないような気がした。
だからさっき電話を掛けようとしたのを思いとどまったのである。
「はぁ・・・」
私はもう一度大きく溜息をつくと、また眠気に誘われた。
まぶたが重い。
(もう一度寝ようかな・・・)
今度は自分の意志で静かに目を閉じた。
それが少し怖かったが、先ほどからの日光のせいかソファーの周りは暖かくそんな気持ちも和らいだ。
外からの光でいつの間にか部屋の中はオレンジ一色に塗り替えられていた。
私は長い間横になっていた体を起こして首をゆっくり一回転させると、おもむろに立ち上がり
まだ少し閉まっていたカーテンを大きく開けて外を見つめた。
正面から右側の方に燃えるような真っ赤な夕日が静かに佇んでいる。
するとその夕日を真一文字に鳥が切り裂くように横切っていった。
何と言う鳥なのかわからなかったが大きく翼を広げ優雅に飛んでいた。
しかしそれも次第に小さくなっていき、ついには建物の死角に入って見えなくなってしまった。
すぐ眼下ににある通りには誰一人通行人がいない。
急になんだか寂しくなった。
もう一度空の方に振り向くと、もう夕日は私にさよならを告げていた。
空は少しずつ闇に食べられていくかのように暗くなっていき、
そしてとうとう食べつくしてしまった。
その間私はずっと窓の前に立ち尽くしていたのである。
それも色々なことが重なり、今度はその寂しさが自分一人取り残されたような孤独感に変わった。
「後藤・・・」
そんな時自分では何も意識していないはずなのにこんな言葉がふっと口から出た。
意思とかそういうものではなく、自分の中ではわからない何かがそう言わせた気がした。
窓が少し曇ったが、またすぐに元に戻った。
私は手早にカーテンを閉じた。
すると、急にスイッチで切り替わったかのようにお腹が空いた。
お腹がぐ〜っと小さく叫んだ。
と同時に妙な圧迫感のようなものも無くなり、気分的には少し楽になった。
今日初めて部屋の電気を点けてからスタスタと歩いてしゃがむと冷蔵庫のドアを開けた。
だがこれと言ったものがなかった。
先ほど妙な圧迫感は取れたのだが、やはり微妙な無気力感は取れていなかったので
勿論何か買いに行く気にはならなかった。
「はぁ・・・」
また溜息を吐いてしまった。
今日何度吐いたか詳しく覚えていないし、当然そんなもの数えてもいない。
ただこんなに溜息を吐いたのは久しぶりであった。ずっとこんな風にしてたら
早く老けちゃうかな?などと考えていると自然と顔が少し緩んだ。
だが実際のところは何もしなくてもお腹は空いていくため、しょうがないかと思いながら
よいしょと立ち上がると、台所の横に積んであるカップ麺に手を伸ばした。
包まれているビニールを雑に破ってポットからお湯を注いだ。
急いでるせいか、お湯が少し飛び散って手が少し熱かった。
カップに蓋をすると、ちゃんと時間分待ってからいただきますと言って箸をつけた。
殆ど空っぽの胃に食べ物が溜まっていくような感じが異常に面白かった。
あっという間に食べ終わったが、まだお腹の方の欲求は満たされておらず
もう一つ違う種類のものを食べた。
そしてようやくお腹が静かになった。満腹になって満足してるのだろう。
ただそれによって変わったのは自分の空腹感が解消されただけで、周りの様子は
あれからずっと変わっていなかった。
とても静かなのである。
なのに私はテレビを点けることも、音楽を聴くこともしようとはしなかった。
後ろを振り向いて時計を見るともうすぐ針は7時を刻もうとしていた。
しかし今の私にはあまり時間の感覚というものがなかった。
休みは今日だけであって、明日からはまたいつものように仕事が始まるので朝も早い。
そう考えてもまだ何だか不思議な感じは抜けなかったが、
それは現実であり今日後藤が自分の家に来たことも紛れも無い現実だった。
私はもう今日は早めに休もうと思い、お風呂場に行ってパパッと服を脱ぐと
この日は浴槽に入ることなく、シャワーだけをサッと浴びて汗を流す程度で終わることにした。
体があまり温まっていない分冷えないようにすぐに寝る格好に着替えると、
まだ少し濡れている髪の毛をドライヤーで乾かし後ろで束ねた。
そして冷蔵庫から残り半分ほどになっていた牛乳をググッと勢いよく飲み干してから大きく息を吐いた。
もう空になったパックを台所の傍にあるごみ箱に放り投げたが、一度目は上手くいかず弾かれてしまった。
何でも乱暴に扱うもんじゃないねと思い今度は丁寧にごみ箱に捨てた。
その後寝る準備をしてベットのある寝室へ向かおうとすると、床には寂しそうに携帯が落ちていた。
それはまるで今の自分のようであった。
私はそれを優しく拾い上げると両手で包み込むように持って寝室へ入った。
一人では少し大きいくらいのベットにうつ伏せに勢いよく倒れ込むと、
その時の勢いで携帯を思わず離してしまいそうになったので慌ててぎゅっと握り締めた。
「おおっ!」
思わず声も出てしまった。
少しの間ベットに顔を潜り込ませるように埋めたままだったが、
その後はそのまま這うようにしてベットの中心まで行くと、
携帯を枕の傍にちょこんと置いてからもぞもぞっと布団に入った。
たくさん昼寝した分すぐには寝られないだろうと思っていたが、
意外にもあっさり意識が無くなった。
「ピーピー・・・ピヨピヨ・・・ピーピー・・・」
小鳥の囀りで目を擦りながらゆっくりと目を覚ますと、まず最初に携帯電話が目に入った。
手を伸ばして携帯電話を開くとカチッという音がする。
"未読のメッセージが1件あります"
一件のメールが届いていた。
一度息を飲み込み、恐る恐るメールを開いた。
そして大きく息を吐く。
メールはマネージャーからの仕事についての連絡であった。
わかってるよ、と小さい声で呟きながらふといつもの目覚まし時計に目をやった。
AM:7:12
今朝は七時きっかりに起きる予定だったがどうやら少し寝過ごしてしまったようだった。
よく目覚まし時計を見ると、アラームのボタンが押されたままになっていた。
そう言えば一昨日使ってからそのままだったことを思い出した。
勿論そんなわけで設定してある時間も全く違っている。
少し苦笑いをするとベットから下りてリビングへ向かった。
私は朝食の準備のためポコポコとコーヒーを作りながら食パンを焼いていた。
その間はテーブルに頬杖をついてボーっとしていた。
そんな短時間でもすぐに昨日の出来事を考えてしまい、他に紛らわすようなことがないと
考えようとしなくてもそのことばかりが頭をよぎった。
それはまるで何かに取り憑かれたようであった。
(あいつ今頃どうして・・・)
「チン!」
その時パンの焼きあがる音が耳に突き刺さるように響いた。
そこで私の思考は一度ストップした。
トースターからこんがり焼けたパンがひょっこり顔を出している。
いつの間にかできていたコーヒーをカップに注ぐと、そのパンを少し乱暴に皿に乗せた。
朝食を食べながらもどうも目の焦点は上手く定まらなかった。
結局又これである。
突然このままノイローゼにでもなってしまうかとも思ったが冗談にもならないので
そんなことを考えるのはすぐにやめて、食べることに集中した。
私はやっと食べていたものの味が口の中に広がっていくのを感じた。
朝食を終えた後、もう家を出発する時間が近づいているのを知ると
頭では慌てながらもだらだらと身支度をした。
「さて・・・もういいかな」
外に出ても格好が悪くない程度に用意をしてから時計をもう一度見た。
AM:8:15
まだまだ余裕がある時間である。
点いていた部屋の電気を消した後、少し気になりポケットに入れておいた携帯を取り出して開いたが
当然後藤どころか誰からの連絡もなかった。
ポケットにまた携帯をしまうと、玄関まで行きコンコンとつま先で地面を叩いて靴を履いた。
そして家のドアを開くと目の前に何か紙らしき物が落ちてきた。
何だろうとその紙を拾い上げた。その紙は三つ折りになっている。
裏にも表にも何も書いてなく、差出人は不明だった。
中を開いてみるとボールペンで自分宛の文が綴られていた。
『いちいちゃんへ
昨日はありがと。そしてごめんなさい。
私が起きた時にはいちいちゃんも寝てて、起こすのは悪いと思って勝手に帰っちゃいました。
勝手に来て勝手に帰っちゃったのはホント反省してます。
その後何度もお礼を言おうと思ってたんだけど、何ていうか直接言葉だと上手く言えそうに
なかったから手紙にしました。
もしずっと私のことで心配させていたらごめんなさい。
でもそうだったら私は嬉しいです。ってふざけてる場合じゃないか(^^;
それでいちいちゃんが話してくれてことをあれからよく考えて結果、やっぱりまた
明日から頑張ることにしました。
うん。本当にこれはいちいちゃんのおかげだから。またまたお世話してくれてありがと。
だから私は今まで以上に頑張らなきゃ!ってかいちいちゃんい負けないくらい頑張ります!
いちいちゃんも私に負けないくらい頑張ってよ!怠けてたら許さないからね。
いちいちゃんはどう思ってるかわかんないけど、私の中ではずっとずっといちいちゃんは
私の教育係なんだから、またこんなことがあったらよろしくお願いします。
偉そうな事言うけど、もしいちいちゃんが悩んでることとかあったら絶対初めに私に相談してね。
私だっていちいちゃんにばかり迷惑かけられないしさ。
いつか私がいちいちゃんの教育係になるときがきたらいいなぁとか思ってます。なんちゃって(笑)
だらだらと変な文になっちゃいましたが、私はあんまり頭よくないので
見逃してください。
それと最後にもう一つお願いがあるんだけどいいかな?
今度お互いの休みが一緒になったら絶対遊びに行こうね。
二人で買い物とか行ったり、遊園地言ったり・・・言い切れないけど楽しみにしてます。
それじゃああんまり長くなるのもよくないと思うのでこのへんにしときます。
私もいちいちゃんのこと応援してるから、いちいちゃんも私のこと応援してください。
ああそうそう言い忘れたけど私たちはもうライバルでもあるんだからね!
じゃあまたね。バイバイ!
後藤真希より 』
差出人は後藤であった。
私はそれを読んだはいいが、どうすればいいのだろうと少し戸惑った。
「ふふふ、やっぱり後藤は後藤のままで変わってないな。後藤が私の教育係か・・・待ってるよ」
私の顔は無意識のうちに笑っていた。
「さて、私もうかうかしてられないな。今日からまた頑張らなきゃ」
その手紙を元通りの形の三つ折りにし、丁寧に鞄にしまうと、
廊下を渡り軽い足取りで階段を駆け下りた。
「う〜ん太陽が眩しいな〜」
家の前の路地に出ると堂々とした太陽が目に前に現れた。
その太陽の光は目を細めなければならないほどである。
それはまるで自分のことだけを照らしているように思えた。
両腕を上に突き上げゆっくり息を吸いながら伸びをする。
「・・・ふ〜」
ふと空を見上げる。
私の頭上には雲ひとつ無い素晴らしい青空が広がっていた。
〜Fin